『なんでブログやってたんじゃったっけ』

 

原点回帰じゃな、そう。

そのころ(2015)ってマジで

『よーし父ちゃん会社辞めてブロガーになるからなーおまえたちにもラクさせてやるぞー(』

ってヒトおったのよ マジで(

まぁ…そう云う人が多いおかげで閲覧だけ稼げれば良いとする中身の無いwebサイトに溢れてしまった訳じゃがね。。。

今はそう云うのも儲からんと中華の詐欺販売サイトばかり引っかかるようにもなってまうて

 

『大人気releaf e1 5秒に1個売れてます!!』とか楽園かや(

まぁいいや そーいうのをかかわらんとことして

完全独立したチラシの裏の独り言メモを webという広大な海にちぎっては投げと云うのを繰り返してたダケなのじゃわ

自分の『そのとき感じた 思ったことを留める』

それはきっと後になって考えかたは変わることなのじゃろうが、自分にウソをつかないというのと、自分の変遷を載せようというのがあったんじゃ

人間は過去を都合よく改変しよるからな 言った言わないなどその最たるものじゃろ わっちがそうはなりたくないから自らに楔を打っておるのよ

それともう一つは

「わっちも昔ぁwebの情報によう助けてもらったことがありんす」PCの設定とかの

『わっちが気ままに流すメモが誰かの役に立つのならそれは嬉しいことじゃよね だからこそウソはついてはならないな』

いま言葉にしてみると これがベースなんじゃと思いんす

 

自分のメモ書きなので完全独立しておったし

ツイにもURL書いたことはありんせん

(確認のためにリプライに二回くらいは乗せたけどの)

あとコレ「自分からフォローしにいくの迷惑になる」と考えてるところがあるので

『絶対に自分からはフォローせん』のは貫いておるのよね

『見つけてもろて興味をもたれたらどうぞ』

という三つ指ついて不束者ですがどうぞよろしくおねがいしますっていうスタンスでいたいので

 

そもそも本アカってのを持っておってそっちでずいぶんと長い間やっておったのじゃが、いきなり凍結を食らってのう。いただいたアイコンがすけべであると云う通り魔みたいな凍結じゃ…w

凍結をくらうと誰をフォローしてたのかすら「0」になって全くわからなくなるのじゃわ

そうなってくるとわかる範囲で再フォローも考えるわけじゃが「ご友人さま一同に優劣をつけかねん」となるわけじゃ

めっちゃ親しい人もおるし 10年一回もしゃべったことないけれど元気で生きてるだけで良いというお人もおるわけ あ、あの人忘れてた!とかもある

変わらない日常をそのままそっくり新しいアカウントに移すことができなかったので演歌じゃありんせんが

「むかしの名前ででています」

見つけてくれましたらまたよしなにという

それがたまたまへっぽんをしゃべってる時期に重なっておったので、「へっぽんアカ」みたいになってただけなんじゃよね

めっちゃ日常アカmk2じゃよ

んで その日常アカmk2がなんで動いてないかっちうと本アカの凍結が解除されたのでそっちで昔なじみとゆるゆるやるわって云うのはブログに書いたとおり

あとは 自分のペースじゃないなと常々おもっておったのもありんす

自分のペースを取り戻そうとブログにこもるかと思うたら、今度は更新ができなくなるという始末での

 

ブログを書くのが趣味の本懐ではねーのでそれを解決する気にもならずに今に至ると

 

趣味でまで疲れてちゃ目も当てられん

なんでこんなに疲れるのかと思ったら自分のペースから外れておったからじゃわ

苦労してても結果楽しくなくてはの 趣味は

 

なので今も辞めておらんし

今はまたけっこう楽しくなってきたと思ふ

ゆるゆるいきますよ ゆるゆる

 

 

基準点(ゼロ点)

眠れぬ夜の思考の彷徨いと仮説

 


基準点(ゼロ点)

 


わっちが見ている色は ぬしも同じ色か?

同じように

わっちが聴いておる音は、ぬしも同じ音か?

 


これな、色では良く聞く話しなのじゃが

(白と金のドレスと青と黒のドレスとかわかりやすい話し)

f:id:bergamotflavor:20240404022756j:image

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO85079060R30C15A3000000/

 


音でもあるんじゃなかろうかと思うておる

 


こういうの、味でもあっての

わっちぁ果物のクエン酸系の酸味をぜんぜん感じない レモン余裕でかじれる でも醸造酢はダメで 魚の傷んだ臭いにも敏感

オカンは果物の酸味にすげー敏感 でも醸造酢は余裕

塩気にも敏感

 


同じ物を見ても人により差がある 視覚

同じ物を食べても人により差がある 味覚

人にはコレだけの感度の幅があるのじゃから、好きも嫌いも当人にとっては正しいし、それは良い悪いではありんせん

 


多分 聴覚でもあるんじゃろう

じゃからこそこの世に溢れる音楽は膨大な種類がありんす

それこそジャンル分けするのがバカらしくなるほどあって

他人の好きは不可侵であるので色んな好きが成り立つ

んむ 他人の好きはバカにしてはならんよ

 


で。この好きとか嫌いとかという感覚の幅は経験により広げていく事が可能での。好きなことに飽いたりするし、苦手なものが思うほどでもなかったり 美味しく食えるようになってたり

 


例えばわっちぁ子供の頃 刺身を食っても醤油の味しか感じなかった、子どもながらに色んなネタを食わしてもらいよったが、醤油を乗せる台くらいにしか思ってなかった事がありんす

極端に云えば肉食とか脂のんまみしか感じ取れんかったのかもしれん

今は色んな味がわかるようになった

野菜も好きでくってる 味わいぶかい

甘みも苦手じゃったが 今はんまいと感じるし

香りの味わいもわかるようになっておった

色んな食いもんに千差万別の旨みを感じる

身体に不調をきたすものでなければだいたい食える

 


コレと似ていてて わっちぁ身体に不調をきたす手前の音楽もだいたい聴ける メルツバウとかふつー聴かんわな 

https://spotify.link/WtsVGbI3uIb

なのでどんな音楽聴きますか?って云われるともちろん好き嫌いはあるものの、答えに困ってしまうくらいにはなんでも聴いておる

https://spotify.link/E3tF3QP3uIb

(☝︎これは誰にでもおススメできる感じ)

それこそtechnoならデリック・メイ辺りから

houseならフランキー・ナックルズ辺りからずっと掘ってるし

ジャンルも国も都市も年代もクロスオーバーどころかボーダーレスどころか「枠としてくくれない」くらいには聴いておるのよ

 

なんでこんなコトを云うかというと、かなりへっぽんを聴いてきた人が推すへっぽんをわっちが聴いたときに「なんでこんなに混濁しておるもんがええのじゃ…」とクビを傾げるものがいくつかありんす

何度聴いても理解に苦しむモノがありんす

その人に感じない濁りなのか

わっちが敏感なダケなのか

一般的にも感じられない濁りなのか

作ったメーカーも自信満々じゃし

これは感度が異なるとしか云いあらわせられぬ

つまりは感度という『主観』については個々人それぞれが持つ『好き嫌い』であり、押し付けられたり矯正されたりしてはいけないものじゃ

そのうち歩みよって嫌いなものも理解できれば良いダケのことじゃ

たくさん美味しくいただけた方が人生豊かじゃろー

 


で。その次の良い悪いになるとこれは主観を捨てなくてはならないので、わっちぁ自分の好き嫌いを捨てる

じゃが、良かろうとも悪かろうとも、ふつー一般的には主観で判断するわけなので良いモノが良いと汲めないのは至極あたりまえのことでありんすし、どうやって食っても不味いのにコレが良いんだってよと無理して食うコトもありんせん まあ食えるようになったら人生はさらに豊かになるじゃろうけどもの

 


んで。何をもってわっちぁ良いのか悪いのかと判断するかといえば、膨大なデコボコの機器と、膨大なジャンルレスの音楽を聴いてきたなかで、出っ張ってるとこと引っ込んでるところがなんとなく掴めておるから、良いとか悪いとか自分の感情も主観も捨てて云えるわけじゃわ

ココで悪いものに出会したとしても「悪いものを好きこのんで食ってる人がいる」わけなのであえて「コレは悪いもんです」とか無粋なコトはいわんようにしておる 余計なお世話じゃし わっちもなぜか伸びたカップうどんとか好きじゃし

そもそもわっちも「良いとされる病院の入院食みたいな完全栄養食」だってふつうに不味いと思うし

カロリーメイトだけで栄養的には暮らせるかもしれんが多分あたまおかしくなるじゃろ

「良いけど不味いよ」

「悪いけど美味いよ」

これはある

 


まあ、これは2022年とかにあたまにえがいておったはなしで、ココで余計なのは結局は好きと嫌いを抜きにしても『良い悪い』の判断には経験の差が出るということ

現代美術がなぜ高評価されておるのか詳しくなければようわからん話しじゃ つまりは経験と知識という積み重ねが『理解』するのに要るということ

それって『良い』ものを理解するのは専門家でもないとムリなのでは?おそろしく敷居をあげている要因な気もしていたわけじゃ もちろん理解をするのに怠惰になれという話ではありんせん 持っていれば持っておったほうがええ そして自分でやしなわねばならんし 教えられてそのまま得られるもんでもない 

 


2023年とかに考えておったのはもっと芯を捉えようとして考えにいたり

楽家とマスタリングエンジニアがコレでヨシとしてこの世に残した音源を、足すことも引くこともなく再現するのがゼロ点(基準点)であるじゃろうと

じゃが、そのゼロ点たる音の確認はその曲の音楽家とマスタリングエンジニアに聴いて判断してもらわねばならず中々できるものではありんせん

そして「良い」とはゼロ点からさらに深化した音の表現を引き出せるものであろうと

盛るんじゃありんせん

引きだす

あったものに追加するのではなく

あったままのものから発見するコトじゃろうと

 


これはの、中々難しいじゃろ 

雑味を削いで削いで削いで削いだあとに んまみを引きだすような感じじゃ。ココまではできる

さらにそこに自分の判断すら邪魔だとして入れなくなるともはや音楽家を呼んでこなくてはならぬ

それも録音に熱意を込めた音楽家が必要じゃ

これは中々むずかしい いやふつー無理じゃ

もっと普遍的で一般的で簡単なことはないか?

いまそこで行き着いた2024年は自然音じゃ

 


自然音は誰でも聴いた事がある。自然音の再生で違和感があるならそれは盛られているのか足りてないかがわかるはずじゃ

もちろんそれとて音楽と同じく録音の程度の差というのはありんすし、聴く者の経験と感度の幅はあるじゃろう

それでも『誰しもが正解を経験している 知っている』というのは大きなアドバンテージであるはずなのじゃ

ただ一つの唯一解である作った音楽家を連れてこんでいい

さざなみの音とか雨の音、森林の中の音などわっちらはすでに知っているその自然音と、機材の出す音の違和感をを感じて修正すれば良い

とはいえ蛇足じゃが、落雷などの音は再現できぬじゃろう アレはとんでもないダイナミックレンジじゃから音圧でスピーカーが吹っ飛ぶとかできようハズもありんせん

そこまではできんとも、さざなみの音を聴いて波打ち際の位置がわかるなら定位に優れておるわけじゃし、鳥の声が遠くから聞こえるならば奥行き表現を読めるわけじゃし、雪原の音を聴けば反射が吸い込まれるデッドな音であるのがわかるゆえ響いておったらならそれは機器の付帯音でありんす、雨の音が一粒一粒イメージできるように聴くことが可能ならば解像度に優れておるじゃろう

知っている音が知っているように鳴っておらんのなら、何かが足らぬし、何かが足されておる

そこまで追い求めんでもいいし、足らぬを知るで充分じゃと思うのじゃが、ようやくゼロ点が見えてくる

そこからさらに、自然音から湿っている感じや乾燥した感じが掴めるなら、天気や季節まで読みとる事ができるじゃろうし、音の違いから音源までの距離も測ることができるはずじゃ(例えば水は近くならチョロチョロ コポコポ 遠くならジャーとかサーじゃ)

音に秘められた情報を拾い上げられる機器は「良い」と云えるのではなかろうか

なのでわっちぁいま、自然音というものに注目してありんす

 


そして何度も云うが、好きに特化して機器を組んだ人をわっちぁ非難するどころかリスペクトすらしてありんす このジャンルのこのアーティストのこの曲はこうして聴いたほうがよりイメージに近いという積み重ねと探求はそれぞれの極地であり不可侵であり蔑ろにできぬコトじゃと思う

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ELEGA DR531

ELEGA DR631

 

違いわからん…w

 

低音バサっと無いというのがふつーの感想じゃろうけど、イヤパッドを城下工業のパッドにかえてやって、アンプをおごってやればフラットというところまで鳴らしてやることは可能じゃ

massive attackの Protectionも鳴るにはなる

https://open.spotify.com/track/3kKVqFF4pv4EXeQe428zl2?si=4k9PKr94QfSzOpSQx93F0A

ただkan sanoのMy girlはスカッと外すので低音がどっかで無くなる限界はありんす

https://open.spotify.com/track/5G1tZ7WSNHmvu5mzs3BpQe?si=utB07wWpRpG5yObrV2DKCQ

 

love unlimited orchestraのlove's themaあたりはふつーに頭外定位するので、録音が良ければこんなポートも無い完全密閉型でもなかなか聴けまする 頭の中でギュっと塊がある感じはせぬ

https://open.spotify.com/track/6AdhpSUxgBIr93S28fRrGx?si=o4acFTlwR6ShtBa3CNmSww

 

ちうか、わりと聴けちゃうんじゃよなあ

こんなに古いのに困ったものじゃ。。。

 

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Tescolyzer DH-61-S

1970年台とありんすが1977年らしい

数少ない音質レビューはかまぼことか高音シャリシャリとか「わっちの感想と全く違う」

わっちの感想はレトロな見た目とうらはらになかなか聴けるぞ…これ…と。

 

おそらく誰もウソをついておらぬ

繋げる機械によって豹変する

これはウチでいくつも上流をさしてためしてみたからわかる

パワーを与えるだけじゃダメじゃったので適切なものを組み合わせる必要がありんす

 

多分1977年はそーいう昭和な音をしてたのじゃろう

それから40年経ち、このへっぽんに何が起きた?

いあ、へっぽんはなにも変わっておらぬ。美品じゃったがむしろ経年劣化しておるじゃろう

 

この音を聴いておると40年の経過とはなんなのかとすら思う

再生環境が激変した それに尽きるのではなかろうか

じゃあ40年の技術進化はへっぽんに何をもたらした?

やばい

パラドックスにすら感じる

もちろん最新鋭のフラッグシップと肩を並べられるかと云えばそこまで持ち上げたりはせぬが

40年のあいだ、ドライバーの進化は寝てたのか?つうくらいには食らっておる。

 

どーすんだこれ

 

現実の音と頭での理解が乖離をおこすわ

 

 

 

MDR Z7のリペアをしておる、まずはイヤパッドから。シープスキンのが手頃にあったからつけてみたらなかなかええ感じ。

ヘッドバンドのほうもヒビ割れてきたからそのうち光城さんに送って仕立て直してもらいやんしょう。

実のところだいぶいつも使ってた相棒でもあるのじゃ。いま聞いてみてもへっぽんとはこう云うんでええんじゃという安心感のある音を鳴らしてくれよる。

解像度?それなり

バランス?ピラミッドバランス

どのアンプに繋いでもZ7であることは譲らんのじゃが、乳化しているというか口当たりが優しい感じ。

シリアスでないのが悪くありんせん。

へっぽんというものが単体で勝負を挑んでいた最後の時代の名機じゃろう。

10年くらい前になるのじゃろうかな。

「ありがとうの」という感慨もあってリペアをしておるのじゃが、確実に失われゆく前に手を出して動体保存のターンに入った感じかの。

 

そう、確実に失われゆく。

 

Pioneer 2015 se master1

fostex 2016 th900 mk2

Technics 2016 eah t700

SONY 2016 MDR Z1R

ゼンハイザー 2018 HD820

DENON 2018 D9200

ultrasone 2019 Edition 15 Veritas

ベイヤー 2020 T1 3rd

コレだけの老舗と名門がフラッグシップ更新の足を止めてしもうた。現行品とあっても終売宣言しとらんだけのものもありんす。

 

th900 mk2

MDR Z1R

D9200

T1 3rd

これくらいじゃなかろうか、名門のフラッグシップがまだ新品で手に入るのは。

2020年初頭までがピークじゃったと思うておったが、実のところ2018年までが百花繚乱じゃったんじゃと思う。

出しても売れない?いやフラッグシップってえのはそのメーカーの威信をかけた文字通り技術の粋を披露するもんじゃから売れる事なんてハナから考えておらんじゃろう。クルマ買う人が全員NSX欲しがらんじゃろ。

ふつーの人が出してもいいと思う価格帯のものを沢山売るのがふつーじゃからな。

もちろんフラッグシップじゃ。真摯なメーカーであれば開発期間もかかりんしょう。5年や6年かかるものもありんすな。じゃが2018年からすでに5年経ち、状況は次世代機の更新はおろか現行フラッグシップとは名ばかりの静かな終売にいたっておる。

現行フラッグシップとして名を残しつつ、もはや生産すらしておらんのじゃ。

これを肌身に感じるに、完全に潮目が変わった。波は凪になったと思うておる。

あんまこういうの冷める要因になってもイヤじゃから云わんとことは思うておったのじゃが、ゼンハイザーがコンシューマーから撤退した辺りから実のところ確信しておった。

コレからもスゲーのは出るじゃろう「ガレージメーカー」から。

「ガレージメーカー」の製品は一握りの卓越した感覚と設計能力を持った天才が「エゴを剥き出し」にしたスゲー製品になるのに対して

「メジャーメーカー」の技術の粋と数多の天才がよって集まり最先端かつ「卓越なるバランスを達成」した製品になるのが違いじゃが

アーティストとアルチザンの違いかもしれぬの。

どちらもわっちぁ好きじゃよ。矜持がありんす。

じゃがどちらが欠けても良いというわけではありんせん。アルチザンの技術の上にアーティストのセンスは花ひらくし、アーティストのセンスによりアルチザンの技術はより高みに達するのじゃから。

片方が欠けたらそれはなしえん。

ガレージメーカーのドライバーはメジャーメーカーのOEMである事が多い。安定して生産するのが難しいからの。じゃがメジャーメーカーがガレージメーカーの要求するドライバーを作るのを断った場合。ガレージメーカーの悲願は達成できんじゃろう。もちろんそれはドライバーだけに限らぬ。

 

オールドスクールなへっぽんはシンギュラリティに到達できなかったかもしれんのじゃ。

もしかしたら達成したのかもしれんが、後の世に気がつかれる事かもの。オーパーツと呼ばれての。

 

それは「そうか」と寂しさを飲み込み認めなくなくてはならんのじゃが、ひとつ救いがあるとするならば「ハッタリや嘘ではなく真摯な積み重ねが確かに存在した」という事じゃ。

進化を間違えてたとしてもの。

 

2024010612

使いかたになれるための雑記

既存のへっぽんというカタチがもはや足を引っ張ってすらおるんよねというのは多分むかしからわかっておった事なのじゃろう。それこそ源流はAKG K1000に遡りんす。イヤパッドのデメリットとメリットじゃ。

イヤパッドがある事で色んな人の頭に装着することが可能じゃ。低音も回析せんでええ。簡単な話し開放型は平面バッフルにほど近いし、密閉型はそのまま、バッフルプレートに穴を開けてバスレフとかパッシブラジエーターにしてるものもありんす。ここで云うのは低音の質がどうのという話しではないのじゃ。イヤパッドで耳を覆うことで耳道が共鳴しとるので原理的に「もわ〜〜」とする。これを技術という力技でなき物にしてきたのがある種のへっぽんのアナログの進化であり、ノイズキャンセリングで無くしてきたのはデジタルの進化でありんす。また脳みそは連続したノイズが気にならなくなるようにマスクしてしまいんす。よく出来とる。

じゃが、その「もわ〜」たる耳道の共鳴のなかに音が含まれているので、デジタルで消すと全部なくなりよるし、アナログで発生しないようにしても原理からは逃れられぬし、そもそも脳みそがマスキングしてるので脳みその処理能力を超えなくてはならぬ。

つまり、イヤパッドは音質として原理的にデメリットが存在する。これはどーしよーもないことなのじゃが、もしかしたら抜けられるかもしれないという素材は見つけてありんす。

で。低音は拡散するので表と裏を分けてやらねば回析して打ち消しあうのじゃ。これを打破するのにもイヤパッドが必要なわけじゃが、イヤパッドそのものが耳道共鳴をおこす、音を吸うとかまあさまざまなデメリットがあっての。イヤパッドで音が変わることの一因でもありんす。音が変わる事を楽しんでおるのならええんじゃけど、わっちぁ「音を変えたくは無い」のじゃからそれを無くさなくてはならぬ。

この辺りまでがk1000までのジレンマというか、まぁその後につづくフルオープン構造というへっぽんが志し高く目指して、志し半ばにして到達できなかった部類でもありんす。

イヤパッドがなくフルオープンでかつ、低音の回析を乗り越えれば、今までのへっぽんでは原理的に得ることができなかった音を得ることができる。

脳みその処理能力に引っかからない音。そう云う解像度じゃ。

実はすでにありんす。そーいうのが。わっちぁ今後それを詰めていく事になるじゃろう。

じゃがかなり駆動しにくい。

知っての通りパワーだけを与えるならば音は暴れてしまいよる。いいとこ30Wのアンプか小音量のレスポンスを取るなら15Wくらいがええのかもしれん。W数がデカくなればいいという短絡的な話ではありんせんからの。

へっぽんアンプだとかなりツラい。すげー音を奏でるへっぽんアンプも3Wくらいじゃからの、いやふつーそんなにパワーいらんからの、ふつーのへっぽんアンプとしてはパワーがある方なのじゃが、わっちが求めておるのは15Wじゃ。

国内のアンプビルダーに直談判してこれを鳴らせるアンプを作ってくりゃれと云うのも考えもしたのじゃが、電流駆動の雄であるバクーンプロダクツのパワーアンプならどうなんじゃろうかというのは夢想しておる。

春先に電流駆動の音にはやられたからの。知らない旨味がまだあったのじゃ。じゃが全てのへっぽんがそれを会うわけでも無かった。じゃから賭けでしかありんせん。本当に試してみたいところじゃ。

てなわけで色々やってはおるのじゃが、どなた様にも役に立たない記述でありんす。